今や、バラエティー番組で活躍するデヴィ夫人ですが、デヴィ夫人の過去を見ていくうちに、とてつもない生き抜く力を感じました。
戦後の混乱の時を生き抜き、高校生の時に父親を亡くし、体を張って稼いでいたデヴィ夫人。
美貌と必死に磨いた教養で、インドネシアの大統領夫人にまで登りつめた。
そんな素晴らしい経歴のデヴィ夫人から学んでいきましょう。
デヴィ夫人の波乱万丈
デヴィ夫人は、子供の頃から父の借金、デヴィ夫人が16歳の時に父親の死があったりで、苦労しています。
そんなデヴィ夫人がインドネシア大統領夫人にまで上り詰めたのです。
しかし、当時のマスコミは執拗な取材を連日行っていました。
お母さんは、普通の人。
休める時もなくストレスに押しつぶされてしまいました。
デヴィ夫人は、危篤の知らせを聞いて帰国しますが、お母さんは亡くなってしまいました。
その2日後には、母親の死に目に会えなかった弟の八曾男さんがガス自殺をして、亡くなりました。
一気に最愛の家族を失ったデヴィ夫人の心中を考えると涙が止まりません。
夫のスカルノ大統領以外家族が居なくなってしまったのです。
その3年後の1965年9月30日にインドネシアで軍事クーデターがありました。
スカルノ大統領は、地位を追われ、もちろん奥様であるデヴィ夫人もその地位から追われることになりました。
デヴィ夫人は、スカルノ大統領とは離れ離れになり、日本に亡命しようとしましたが、あっけなく断られ、フランスに亡命しました。
スカルノ大統領は、軟禁状態に置かれていましたが、1970年に亡くなりました。
デヴィ夫人が大統領夫人になった理由
デヴィ夫人は、なりたくて大統領夫人になったのでしょうか?
家も貧しくて、自身が働き手だったので、少しでも楽に稼ぎたいという気持ちがあったと思います。
そんな時に、インドネシアと日本の橋渡し役としての仕事を与えられたのです。
もちろん飛びつきますよね。
そこで、どうしたら一番良いのか?ということを考えて、行動していったから大統領夫人となったのでしょう。
日本との橋渡し役としては、最高の立場です。
若くてきれいな大統領夫人は、スカルノ大統領としても自慢だったと思います。
日本との関係を悪いようにはしない、ということですね。
デヴィ夫人が輝き続けている訳
デヴィ夫人は、若い頃から苦労しています。
最愛の家族が若い頃に皆いなくなってしまった。
頼れるのは自分、信頼出来るのは自分だと悟ったのでしょう。
勉強もかなりして、英語も話せるようにして、そして何よりも口が堅い。
国との交渉、仕事の交渉、人間関係でも、全てにおいて口が軽い人は、信用出来ません。
逆に、どんなことでも口が堅い人は、信用できます。
悪魔のささやき「ここだけの話」は、口の軽い人は別の人に同じように「ここだけの話」をしていくのです。
デヴィ夫人は、違います。
墓場まで持っていくような大切な内容の案件をいくつもお持ちかもしれません。
絶対に口を割らない、というところが信頼されるところなのでしょう。
そして、輝いているデヴィ夫人は、自由に生きているから。
お金の心配は、一切無用なので、若い頃のたくさんの苦労を今楽しく生きることで消化している感じがします。
人は、人生を楽しみ、自由に過ごしている、ストレスがないのが輝いている秘訣です。
まとめ
デヴィ夫人のことは、良く分からなかったのですが、少しだけ分かった気がします。
テレビに出ているデヴィ夫人は、お茶目でチャーミング。
そんなデヴィ夫人の経験が今の輝いているデヴィ夫人を作っていますね。
これからも生き生きと楽しんで生きていきましょう。
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