2010年に出産を機に、芸能活動を休止していたので、知っている方も少なくないかもしれない小田茜さんですが、
12歳の時に「第4回全日本国民的美少女コンテスト」でグランプリを受賞し、芸能界デビューした方です。
堀が深くて、端正な顔立ちだったので、「第二のゴクミ」と言われ、脚光を浴びています。
結婚・出産・子育てを経て、離婚をし、人生経験を色々と積んできたようです。
結婚相手や離婚の原因などを調べてみました。
小田茜(おだ あかね)
生年月日:1978年11月6日
出身地:栃木県真岡市
身長:164㎝
血液型:A型
小学6年の時に、第二のゴクミと称賛され、1991年のNHKの大河ドラマ「太平記」でデビューしている。
ドラマ「先生のお気に入り!」の出演時は、中学1年ながら高校2年生の役を演じている。
1993年の連続ドラマ「いちご白書」では、初主演となり、人生初のファーストキスも劇中だったらしい。
小田茜さんが中学2年、相手役の松岡昌宏さん高校1年だった。
2008年に日本航空の副操縦士の男性と結婚。結婚を機に北海道に住居を移し、2010年に第一子を出産。
2018年に離婚して、東京に戻っている。
小田茜 結婚相手はどんな人?
小田茜さんの結婚相手は、7歳上の日本航空の副操縦士(パイロット)でした。
背は小田茜さんより高く、頭がよくて性格も良かったようです。
2006年に友人の紹介から友人関係をスタートさせ、2007年頃から交際へと進展していったようです。
交際期間は、小田茜さんの仕事への理解もあり、一緒にいて楽だったとのことなので、結婚は自然な流れだったのでしょう。
30歳を目前に女性は、結婚について・子供について考える時があるので、そのタイミングでもあったのかな、と思います。
小田茜 何故離婚したのか?
結論から言うと、結婚期間は10年ほどでした。
一緒にいて楽だった関係が破綻したのは、なぜでしょう?
女性にとって、慣れない地での生活も大変な上、出産・子育てというのは、かなり辛いことがあると思います。
しかも、ご主人はパイロットという不規則で忙しい仕事ですから、ワンオペだったことも多かったと想像できます。
一般的な主婦は、亭主元気で留守がいいと言いますが、子育て(特に子供が小さい時)は一人では限界に近い状況があります。
小田さんの考え方や頼りたい気持ちに寄り添って貰えないと、不足や不満からご主人に当たってしまっていたのかもしれません。
ご主人と小田さんの離婚したいというタイミングがズレていたようで、小田さんの方がモヤモヤが残っているようです。
まぁ、完璧な離婚なんて存在しないと思うので、時薬に解決してもらうしかないですね。
2010年に生まれている息子さんのためにも、前を向いて、息子さんと一緒に楽しく過ごしていって欲しいと思います。
息子さんは、これから思春期を迎え、子育ても中々難しいタイミングに入ってきますが、きっと大丈夫。
まとめ
小田茜さんのことを調べてみましたが、素敵な出会いがあり、別れがあったようですが、素晴らしいかけがえのない息子さんがいるのですから、これからは自分の人生を歩んでいって欲しいと思っています。
芸能人は、再活動が出来て羨ましいなぁ~と思います。
でも、それは芸能活動を休止する前の行動次第なのかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント