【驚愕!】日本を救った?!デヴィ夫人とは、どんな人?

芸能

今は、バラエティー番組で見ることが多いデヴィ夫人。
実は、日本を救っていた過去がある?!
デヴィ夫人が居なかったら、今の日本はないと言っても過言ではない?!
デヴィ夫人の過去を紐解いていきます。

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デヴィ夫人とは?

本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(インドネシア名)
   根本七保子・ねもとなほこ(日本名)
1940年2月6日生まれ
東京都東京市麻布区霞町出身(現在の東京都港区西麻布)

父・兵七郎さんと母・政子さん、弟の八曾男さんの4人家族。

デヴィ夫人の生い立ち

父・兵七郎さんは大工だったが、視力を失い働けなくなり、借金を背負うことになる。
母の内職だけでは、生活は苦しく、幼少期はかなり貧しい生活をしていた。

戦時中(第二次世界大戦)は、母と弟と福島へ疎開していたそうだ。

昭和30年15歳の時に映画のエキストラなどでバイトを始めた。
高校は定時制に入り、昼間は現在のジブラルタ生命で働きながら、昼休みも休日もバイトをしていた。

デヴィ夫人が16歳の時に父親が無くなり、高校を中退して、本格的に家計を支える立場になった。
赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働き、転機が訪れることになります。

日本を救ったデヴィ夫人

高級クラブの「コパカバーナ」は、政治家や海外の要人などVIPをお招きするような高級なところです。
デヴィ夫人は、ここで英語を身につけ、人脈を作り、お金を貯めることを決めていました。

デヴィ夫人が19歳の時に、インドネシアのスカルノ大統領が訪日していて、その時に見初められました。
その後、日本の開発援助の目的もあり、インドネシアに秘書として送り込まれます。

スカルノ大統領は、とても美しいデヴィ夫人を近くに置いておきたくなり、愛人として迎えます。
たくさんの女性が大統領夫人になりたかったので、愛人たちはデヴィ夫人にも嫌がらせなどをしたそうです。
他にも日本人のホステスなどが送り込まれたそうですが、いじめにあって自殺してしまったりしたようです。

デヴィ夫人は、様々な嫌がらせに知性と気の強さで打ち勝ち、第三夫人として1962年、22歳の時に結婚しました。
インドネシアは、一夫多妻制なので、日本の世の男性には羨ましい限りではありませんか?

しかもその時、スカルノ大統領は、61歳。なんと、39歳の年の差婚。
ますます羨ましいですよね。

でも、たった3年後の1965年のインドネシア内でクーデターがあり、スカルノ大統領は失脚してしまいました。

デヴィ夫人の功績

終戦後、まだ体力がない日本とは裏腹に、インドネシアは独立して意気軒昂としていた。
国際的地位も高かったインドネシアは、日本よりも先進国だった。

しかしインドネシアも独立したばかりだったので、日本との外交や諸外国からの資金援助も必要としていた。

日本は、独立国としての地位もまだ危うく、戦後の賠償問題もあったが、デヴィ夫人のお陰でインドネシアとの賠償問題が片付いて、戦後の復興の足掛かりとなった経緯があるのです。

デヴィ夫人の美しさは半端ない

日本人離れしたデヴィ夫人の美しさは、目を奪われるほどです。

こんなに美しい女性がいたら、息をのんでしまいそうです。
吸い込まれるような感覚を感じます。

メチャクチャきれいです。

まとめ

デヴィ夫人は、苦労している分だけ人にも優しい。

そして、日本を救った人だったというのも素晴らしい功績です。
やはり、人の縁で絆が生まれ、人が国を救い、繁栄させていくんだと思った。

デヴィ夫人は、知性もあり根性もあり、口が堅く、華やかさもあり、お金もある。
これからのデヴィ夫人にも注目していきたいと思った。

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