【日本一】の品ぞろえ 「はんのひでしま」秀島徹

人生

日本一のはんこの品ぞろえで有名な「はんのひでしま」は、福岡県にある。
なんで日本一の品ぞろえになったのか?
秀島徹さんは、どんな人なのか?
調べてみました。

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「はんのひでしま」

秀島徹さんの父である秀島年(ひでしまみのる)さんが1931年に創業した「秀島印保舗」は、
今年で創業91年だ。

近くにあった役場に来る人達が便利じゃないか?と、父のみのるさんがはんこ屋を始めたようです。

現店主は、2代目の秀島徹さん。
秀島徹さんが25歳の1972年に、父から屋号を受け継いだ。

ちょうどその頃から、機械彫りが一般化してきた。
はんこ屋の生き残りは、大変だったと思う。

徹さんは、持ち前の興味で「はんこ」ワールドに惹かれていたので、生き残りというより好きという気持ちで続けてきたのだと思う。

今は、100均でも購入できる時代だ。
ポピュラーな苗字なら、なんの問題もなく安く購入出来る。

秀島徹さんとは?

「はんのひでしま」の店主である秀島徹さんとは、どんな人なのでしょうか?

秀島徹(ひでしまとおる)
今年75歳(1972年(25歳)の時に代替わり)
福岡市東区にお店はある。

手彫りを続ける秀島徹さん。
彫刻刀を物心がついた時から持って、お父さんの技を盗んでいた。
「はんこ」に関する歴史を調べていくと、だんだんと「はんこ」の魅力に
引き込まれていったとのこと。

日本には沢山の珍しい苗字があるので、そんな苗字を知るたびにはんこを作っていったのでしょう。
今では10万本以上。
手彫りをしていれば、愛着も沸くでしょうし、置き場所のこだわりもあるでしょう。

秀島徹さんは、はんこを誰よりも愛する人なのではないでしょうか。

はんこの歴史

実は、はんこは文字よりも先に誕生していたらしい。
なんて、聞いたら「はんこ屋」としては、凄いことだ!となりますね。

世界最古と言われる「楔形文字」の発見よりも500年以上も早くに
「円筒型印章」というはんこが使われていたとのこと。
文字よりもはんこが先に活躍していたということは、はんこ屋さんとしては嬉しい限りではないでしょうか?

日本ではアクセサリーとして始まったハンコも次第に今のような形に変化していったそうです。

1871年に「印鑑登録制度」が発令されたことにより、ハンコが一般的になり、苗字のなかった人たちも苗字を持てるようになったそうです。
自分と他者を判別する目的として、実印というハンコを手に出来るようになったようです。

秀島徹さんは、はんこに関してすべてを調べつくして、ご存じの方なのかもしれません。

まとめ

ハンコの世界を生きている秀島徹さん。

困っている人のために、便利に活用してもらうために、と始めたはんこ屋さんでしたが、秀島徹さんがはんこの魅力にのめりこみ、手彫りで1本1本作り、丹精込めている。

10万本以上もあるはんこの中から、対戦の時は瞬時に探し出してくる。
はんこの置き場所も全て頭に入っている。

はんこを愛してやまない秀島徹さんをこれからも応援したいと思います。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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